キョンシーごっこ

 

むかしむかし、「霊幻道士」と言う中国の映画が流行ったのをご存知ですか?
キョンシーと言うのは、その映画に出てくる中国版幽霊のことです。
キョンシーは、普段は額にお札を貼られていて悪さはしないのですが、お札が外れたり剥がされてしまうと狂暴になり、噛まれた人間はキョンシーになってしまいます。
こう書いているとゾンビにも似ていますが、真っ白い顔で両手を突きだし、両足で跳び跳ねながら近づいてくる様は、怖さのなかにもユーモラスな部分があり、子どもたちは虜になっていました。
そのキョンシーを真似た遊びを、小学校の休み時間によくやっていました。
まずは少数のキョンシー役から始まり、触られたらキョンシーになります。
そうやって、徐々にキョンシーが増えていくのです。
一度キョンシーになったら、二度と人間には戻れません。
キョンシーにお札をつけるか、息を止めてたらキョンシーには触られないけれど、そう長く息を止めていられる訳もなく、あっという間にキョンシーが大量生産されてしまいます。
見た目は人間だし、ただのごっこだとわかってはいても、人間一人になり大勢のキョンシーに囲まれて襲われるのは、結構な恐怖だったのを覚えています。
…とは言っても、キョンシーも人間も終始大爆笑なんですけどね。
私はどんくさいので、いつも真っ先にキョンシーに狙われていました。
こんな、ほんとうにしょうもない遊びをよくもまあ飽きずにやったなぁと今では思いますが、子どものときは心底楽しかったです。
今やってみるのも、逆に新鮮でたのしいかもですよー

ゲームボーイ

 

今ではスマホゲームが主流となりつつありますが、当時は分厚いゲームボーイが携帯ゲーム機として最先端でした。
私はまさかの学研教材で応募した懸賞でソフトと一緒に当選して手に入れました。小学生の自分にはなかなか購入できないものだったし、家に母宛以外の荷物が届くなんてことはなかったので、自分宛のものとは思いもせずに、母が帰ってくるまで開封することすらしていなかったのを覚えています。
本体は黄色くて、画面は白黒。
今のDSを使ってる子ども達には信じられないスペックでしょう。
それでもゲームはテレビにつないで遊ぶのが当たり前だった当時は、パチっとスイッチをオンにするだけで、布団の上やコタツでも自由にどこでも遊べるゲームボーイは画期的で魅力的でした。
初めて遊んだソフトは、懸賞で本体とセットで当たった「テトリス」でした。今でもパズルゲームは好きで好んでプレイすることが多いのですが、もしかしたらこのテトリスがきっかけだったのかもしれません。
有名どころすぎて説明はいらないかもしれませんが、いくつかの形が決まったブロックが画面上から落下してくるのを、横一列にブロックを揃えるように回転させたりしながらはめ込んでいく、というシンプルなゲームです。いわゆる落ちゲーというものでした。
この後も「ぷよぷよ通」をゲーム屋さんでパッケージのキャラクターが可愛かったから、という理由で購入し、しばらくは本気で塔をクリアするのに熱中していました。結局クリアしたのかどうかはあまり記憶にないので、できるならばまたチャレンジしてクリアしたいゲームのひとつです。
そんな記憶に残るゲーム体験をさせてくれたのが初代ゲームボーイでした。

無印のカラーペンブーム!!

小学生の頃、学校ではカラーペンを持ってくるのを禁止されていました。でも赤、黒、青だけは許されていました。その色のペンにどのブランドのペンを持ってくるかで盛り上がりが大いに違ったことを懐かしく思い出します。ゼブラのノックは一般的。パイロットも多数派。プライベートブラントとか、中にはあえての色鉛筆派も…。そして、人気だったのは…無印のカラーペン!

当時家の周りに無印はなく、無印=遠出した、とか都会(大きな街)に行った、というイメージでした。白とも透明とも言えないボディのペンが見えると「良いなあ!行ったの?」と羨ましかったのを覚えています。
両親は忙しくて、当時無印とかそんな店には連れて行ってくれず、文具についても色がついていればいい、近くの店で帰るなら尚いい、という感じでなかなか私は無印のペンを持てませんでした。

 

そんなとき姉の無印のペンのインクが出なくなり、捨てようとしていたところを「待って!」ともらいうけ、大事に筆箱の中に入れていました…。

 

頑張ってなんとか少しインクが出るようになった無印の赤ペンを、プリントの丸つけのときに筆箱から出して内心ニヤついていた幼い自分は思い出すと滑稽極まりないけど、まわりがみんなもっていたペンをやっと持てたという嬉しさが大きかったのです。
今ではコンビニエンスストアでも変える無印のカラーペン、姿を見るたびにほろ苦い気持ちになります。
ちなみに高校に上がったときには無印の半透明、六角形の7本入りカラーペン(こちらはマーカータイプのもの)が流行り、学生時代は無印に始まり無印に終わった感じでした…

どうぶつ占いはみんな知ってるブームでしたね^_^;

 

私が小学生の頃学校で流行り、本を買って家族だけでなく休み時間は、みんなで占いをしていました。
生年月日で占うどうぶつ占いでたくさんの人を占っていました。性格面など結構、当たっていたイメージがあります。子供の頃だった為、洗脳されやすかっただけなのかもしれませんが。。
普通の占いとは違って文章だけでなく可愛い動物達に表現されることで子供心をくすぐり本を無心で読んだ記憶があります。
動物同士の愛称などもあり好きな人の誕生日を聞いてコソッと調べてショックを受けたり、喜んだり女の子同士で遊んでいました。
自然と友達の誕生日を覚えたり、普段はなさない人と話したり好きな人との会話など今考えるととてもいいコミュニケーションツールでした。
私は、おおかみだったような気がします。一見おおかみは、女の子として嫌な気がしますが、イラストにするととても可愛いく犬が好きだった私は、おおかみでとても喜んでた気がします。ですか、基本的には女の子は可愛い動物に憧れて男の子は、カッコいい動物に憧れていました。どうぶつに占いは、本の発売だけでなく、動物占いの動物シールやグッズが発売されており、自分の動物のシールを買っていろんなところに貼って遊んだり。自分の動物が可愛くない時は、好きな男の子の動物シールを買ったりして貼ってる女の子のお友達もいました。私の周りだけかもしれませんが、私の小学生の頃は、どうぶつ占いがブームだった記憶があります。

ハイパーヨーヨー

 

ハイパーヨーヨーは、普通レベル、スーパーレベル、ハイパーレベルなど、

 

レベルに応じて技があり、規定のお店で検定を受ければ、検定書を貰えるという、一つの勲章のようなものがありました。

 

私も必死にヨーヨーの練習をして、技を取得して、おもちゃ屋さんで検定試験を受けたことがあり、私は小学校で1番上手くて、常にヒーローでした。ハイパーヨーヨーは、私が子供の頃にヒーローになれた為の道具であり、本当に楽しい遊びでした。ハイパーヨーヨーは種類も多く、当時は漫画も連載しておりましたので、その時は本当に楽しく遊べるものでした。

 

今でもそのハイパーヨーヨーは取ってあり、子供ができて成長したら、子供に技を見せつけて、パパ凄いと言われるのが夢です。ブームは繰り返すので、いつかまたヨーヨーが流行ることを願っています。私が小学生の頃ヒーローになれたハイパーヨーヨーは今でもとても良い思い出であり、今でも小学生の時の友達に会うと、ハイパーヨーヨーの話題は欠かせないものとなっています。

 

ヨーヨーといえば、今は古いと感じてしまう方もいますが、実際の大技を見れば、誰でも驚くようなものであり、人々を感動させるようなものとなっています。

 

ハイパーヨーヨーに出会ったことにより、私は子供の頃にヒーローになり、その時がとても良い思い出となっていますので、今でも夢に見ることがありますし、これからも良い思い出として残るでしょう。

タカラのジェニーちゃんというお人形

 

リカちゃん人形よりももう少し背が高くモデル体型で髪もサラサラストレートのかわいいお人形でした。着せ替えの洋服もたくさん揃っていて、靴やアクセサリー、ジェニーちゃんのハウス、タンスなど小物も充実していて、たくさん集めて友達と並べて遊んでいました。

 

しばらくすると、ジェニーちゃんのお友達で名前は忘れてしまいましたが、ヘアスタイルを自由に変えられるタイプのお人形が発売され、髪を巻いたり、しばったりしてアレンジや、シャンプーなどを楽しみました。
小学校高学年になると少しお裁縫ができるようになったので、着せ替えの洋服を自分で作ったり、既製の洋服をアレンジしたりして楽しむようになりました。

 

小さな頃はお友達とおままごと感覚で遊んでいたお人形が、大きくなるにつれて、自分ではできない、ファッションを楽しむということをお人形を通して楽しんでいた気がします。
中学生になるとさすがに、友達と持ち寄って遊ぶことはなくなりましたが、さらにお裁縫の腕があがっていたので一人で着せ替え洋服を作って楽しむようになりました。そうやって小さい頃からずっと遊んでいたお人形ですが、コギャルブームがくると日焼けして茶髪のタイプのジェニーちゃんなども発売されるようになり、アムラーファッションなどをさせて楽しんだりしました。
一番たくさん遊んだのは小学生の頃でしたが、いまだに捨てられず大事にとってあるお人形です。

ビックリマンチョコは男子では大ブーム!!!

ビックリマンチョコは、私が小学生の時に発売された、おまけつきお菓子です。

主に男子の間で大流行していました。お菓子のウエハースよりも、おまけのビックリマンシールを集めることがメインになっていました。
確か、天使シールと悪魔シールがあって、天使シールのボスが「スーパーゼウス」で、悪魔シールのボスが「スーパーデビル」だったでしょうか…
その天使と悪魔という世界観を基盤として、多くのキャラクターシールがありました。
キャラクターが進化して、出世魚のように姿や名前が変わっていったりしました。「ヤマト王子」が「ヤマト神帝」に進化する、という感じで、見た目も派手になっていきます。

シール目当てに購入して、中のお菓子を捨ててしまう、という現象が起こったため、社会問題にまで発展していたかと思います。
うちの小学校でも、全校集会や学級会の議題になったことがありました。
保護者向けのプリントも配布され、注意換気が行われていました。
そのビックリマンシールから派生して、アニメ番組も始まりました。
私の記憶にあるだけでも、2、3くらいシリーズがあったかと思います。
まさか、おまけシールのキャラクターで、こんな壮大な話になるとは思いもしませんでしたが…
今もビックリマンチョコがあるかどうかは分かりませんが、似たような感じで「森羅万象チョコ」というのがあるようです。

当時はビックリマンシールばかりが独り歩きしていましたが、メインのお菓子も結構美味しかったんですよ。

ドッチボールはみんながハマった遊びですね♪

私は幼稚園児位の時からごむ跳びで遊んでいました。近所に住むお姉さんや友人と一緒に遊んだり、一人でも遊んでいました。小学校に入学してからは、しばらくごむ跳びで遊んではいなかったのですが、小学校5~6年生位の時に流行り始めました。私のクラスだけではなく他のクラスでも流行っており、特に女子には人気がありました。
昔からある跳び方だったり、音楽の授業で習った歌に合わせて自分達で跳び方を決めたりと担任の先生も交えて、どこまで引っ掛からずに跳べるかを競い合いながら皆で休み時間や放課後に楽しく遊んでいたのを覚えています。
親の世代でも知っている遊びのせいか、母親とよく話題にしたり、一緒に遊んだりしていました。
ルールを確認したり、跳び方を教えたりしたとうい記憶は特になく、いつの間にか遊んでいるという感じでしたので、私の回りの友人も親から教えられていたのかもしれません。
同じ時にファミコンやスーパーファミコン等のゲームに夢中になっている子供が多くいる中、今、振り返ってみると何故あんなに楽しかったのか、何故あんなに夢中になったのかは不明ですが良き思い出です。
今の子供達は何が流行っているのかは分かりませんが、もし、自分が幼少期に遊んでいた遊びが流行っていたら嬉しく思います。もしかすると、自分の母親も一緒に遊んでいた時は同じように思っていたのかもしれません。
色んなものが便利になっていく世の中ですが、こういった昭和のものも受け継いで欲しいと思います。

デュエル・マスターズは社会現象にもなりました♪

小学生の頃に初めてカードゲームというものに触れました。それがデュエル・マスターズです。最初は友達にやり方を教えて貰ってカードも雑魚カードを貰ってやっていましたが、途中から自分でカードを買い始めたりもしました。

子供ながらにデッキ構成を色々考えたり、作戦通りにゲームが進むととても楽しかったのを覚えています。しかしながら、裕福な家の子供は沢山カードを買えるため、強いカードを集めることが出来てそこで差が出てしまい、お金持ちの子供が凄い羨ましかったです。自分は貧乏だったのであまりカードも買えず、それでもデッキ構成を考えてやることで何とかやれていました。

新しい強いカードが出る度に友達との差が開き、次第にデュエル・マスターズの熱は冷めていきました。そして時間が経ち、高校生になった私は再びデュエル・マスターズにハマることになりました。

小さい頃と違って弱いカードでも使い道があることを知り、昔の楽しかった記憶が再び蘇ったのです。高校生は基本貧乏だったので私の周りの友達もレアカードばかりを使うパワープレイヤーがおらず、工夫したデッキでとても熱い戦いが出来てとても楽しかったです。その頃はひたすらデュエル・マスターズにのめり込み、学校の昼休み、放課後、電車での通学中など暇な時間があればやっていました。友達とみんなでカードパックを1つずつ買いレアカードが当たるのを祈ってたりしていました。当たった記憶はありませんが。しかし、受験期に伴い、みんな勉強だという感じになり高校生時代のデュエル・マスターズ熱も冷めていきました。

みんなが見てたとっとこハム太郎!!!

幼稚園の頃、ハム太郎が流行っていて、仲のいい友達同士でハム太郎ごっこをしていた思い出があります。また、当時ハム太郎が放送されていた時間帯は習い事があり、いつも祖父が録画をしてくれていたのですが、たまに祖父が忘れてしまうことがあって、その時は祖父を責めつつ大泣きしていました。

小学校に入学した頃もハム太郎が大好きで、ランドセルはハム太郎を買ってもらい、小学校で使う文房具やお道具袋は全てハム太郎なくらい、私はハム太郎が好きで、小学校の頃になると少なくはなりましたが、ハム太郎好きが多かった記憶があります。人気のキャラクターはリボンちゃんで、ハム太郎ごっこの時は誰がどの役をやるかで最初は喧嘩もしていました。

今思うと、不思議だったのがハム太郎ごっこなのに男の子が一人しかいなくて、ハム太郎、リボンちゃん、マフラーちゃん、ちびまるちゃん、トラハムちゃんという謎のキャラクターで遊んでいたことです。大人に近づくに連れてハム太郎を見る機会もなくなり、記憶から薄れていたのですが、最近友達と子供の頃について話していた時、「ハム太郎が好きだった」と話すと「私も」と盛り上がり、ハム太郎はやはり人気だったんだと実感しました。また、私には3つ下の弟がいて二人兄弟なのでよく一緒に遊んでいたのですが、中でもお互い人形遊びが好きで、ハム太郎の指人形を全部集めるために毎日のようにお店に行ってまだ揃っていないキャラクターがいないか探していました。

今は全部捨ててしまいましたが、かなりの数集めた記憶があります。親も協力してくれていたので、今は感謝の気持ちでいっぱいです。